今日は、龍馬の人生に彩りを添えた女性達の事を書いてみたいと思います。
有名な姉の乙女、脱藩を一緒にしようとした平井加尾、江戸剣術修行での千葉佐那(千葉周作の姪)、龍馬の京都で活動をアシストした寺田屋お登勢、そして龍馬の妻であるお龍。
龍馬には兄が1人、姉が3人いた。特に年の近い姉の乙女とは非常に仲がよく、龍馬が政治活動をしている間も書簡を交わし続け、兄への書簡と違いくだけた文書は姉との仲を想像させるに難くないものです。
龍馬はこの姉には最も信頼を寄せていたのではと思われます。
有名な書簡は色々ありますが、特に妻お龍のことを紹介した書簡は、小姑である姉になんとかお龍を認めさせようと必死な様子がありありと感じられ、好ましい事このうえありません。
千葉佐奈は剣術師匠の娘であり、江戸修行中は婚約の間柄だったとされています。佐奈は終生、婚約の証である龍馬の袖をもち、独身を通し、その墓石には「坂本龍馬室」と彫られています。
お龍に関しては語る必要もないかもしれません。
ただ一言、維新後お龍が語ったとされるなかで「龍馬は千葉佐奈の事を、俺に好意を寄せていたようだが俺は相手にしなかった、といっていた」とあります。でもこれは維新後30年ほどたってからの話で、お龍の佐奈への嫉妬心からの言葉ではないかと私は思っています。
写真でみる風貌は決して二枚目という訳ではありませんが、龍馬の性格は男子ばかりではなく女性からも愛されていたのでしょう。羨ましい限りです。
有名な姉の乙女、脱藩を一緒にしようとした平井加尾、江戸剣術修行での千葉佐那(千葉周作の姪)、龍馬の京都で活動をアシストした寺田屋お登勢、そして龍馬の妻であるお龍。
龍馬には兄が1人、姉が3人いた。特に年の近い姉の乙女とは非常に仲がよく、龍馬が政治活動をしている間も書簡を交わし続け、兄への書簡と違いくだけた文書は姉との仲を想像させるに難くないものです。
龍馬はこの姉には最も信頼を寄せていたのではと思われます。
有名な書簡は色々ありますが、特に妻お龍のことを紹介した書簡は、小姑である姉になんとかお龍を認めさせようと必死な様子がありありと感じられ、好ましい事このうえありません。
千葉佐奈は剣術師匠の娘であり、江戸修行中は婚約の間柄だったとされています。佐奈は終生、婚約の証である龍馬の袖をもち、独身を通し、その墓石には「坂本龍馬室」と彫られています。
お龍に関しては語る必要もないかもしれません。
ただ一言、維新後お龍が語ったとされるなかで「龍馬は千葉佐奈の事を、俺に好意を寄せていたようだが俺は相手にしなかった、といっていた」とあります。でもこれは維新後30年ほどたってからの話で、お龍の佐奈への嫉妬心からの言葉ではないかと私は思っています。
写真でみる風貌は決して二枚目という訳ではありませんが、龍馬の性格は男子ばかりではなく女性からも愛されていたのでしょう。羨ましい限りです。